文才のない詩人の日記

普段の生活をまとめます。アメリカの大学に通っているため、その様子を見せたいですが、気の向くままに書くのでうまくいくか分かりません。

青は藍より出でて藍より青し-20201209

こんばんは、ブログを開いて下さりありがとうございます。

 

今日はプレゼンについて詳しく書きたいので、トレンドのコーナーは省略させていただきます。

 

今日の授業。ミクロ経済学は複占について。ひとつの市場を2社で支配している状態を言います。ゲーム理論による戦略決定の話は先週しましたが、今日は、商品を作るコストと市場価格の式を与えられた状態で、お互いに幾つの商品を作れば一番儲かるのか、という計算をしました。ここで他社の生産数に対して自社の利益が最大になる生産数を求める関数を最適反応関数とよんだりするわけですけれども、まあ色んなものが計算で予測たてられるんだな、という部分が経済の醍醐味でしたな。

 

そしてジャズの授業。セロニアス・モンクのドキュメンタリーを見ましたとさ。

で、昨日あったプレゼンの内容を紹介させて頂きたいですね。テーマは、1960年代に生まれた、ジャズフュージョンというジャンルとその文化背景について、です。

f:id:Kazu-Assy:20201210000202j:image

ジャズフュージョンというのはジャズ・ロックとも言われてまして、その名の通り、ジャズとロックの融合なんですよね。従ってロックンロールの動きっていうのが初めに重要になってきます。

ロックは、1950年頃にジャズから派生して確立されまして、1960年代に大流行を見せました。その大きな理由の1つが「対抗文化(カウンターカルチャー)」です。

別の人のパートになるのでスライドとかは無いんですけれども、簡単に説明しますと、今までの主流のものに反対して、多様化を求める動きですね。女性権の問題なんかに異議を唱える時代でした。それに伴い、ロックっていうのは対抗心なんかを歌ったものも多いですから、人気に火がついたと。

ここで、注目なのが、人気になるロックバンドの大半はイギリスのバンドなんです。1960年代にかけてイギリスのロックバンドがアメリカを中心に世界中で爆発的な人気を誇ったことをBritish Invasionという風に言います。直訳でイギリスの侵略。

f:id:Kazu-Assy:20201210000155p:image

代表的なのが、誰もがご存知ビートルズ。それからローリング・ストーンズなどなど。納得の人気ぶりでしょう。

では、何故アメリカではなくイギリスの音楽が栄えたのでしょう。私は、これは1950年代後半からの、アメリカのロックの衰退が大きな理由の一つと考えたんですね。

f:id:Kazu-Assy:20201210000509p:image

1959年2月3日、飛行機の事故により3人のミュージシャンが亡くなります。この日は音楽が死んだ日と言われております。それから1958年にエルヴィス・プレスリーアメリカの軍隊へ入隊したり、チャック・ベリーが捕まったり、まあ沢山の一流ミュージシャンが音楽活動を続けられなくなります。ここでアメリカの音楽は一時終焉を迎えてしまいました。

 

f:id:Kazu-Assy:20201210000902p:image

まとめです。アメリカのロックの衰退、イギリスのロックの向上が同時に起こることでBritish Invasionが発生。ロックが大流行しました。加えて、カウンターカルチャーにより多様化を求める動きが盛んになり、芸術面にも多様性を認める動きが出てきました。結果として、ロック以外の音楽ジャンルに電子音(ロックの特徴)が取り入れられたサブジャンルが大量に生まれまして、その1つがジャズ・ロックだった、そういう訳です。

面白いのは、ロック自体、ジャズから派生したものなのに、時が経ってジャズがロックの流行に乗っかるという、子が親をこえてしまったことですね。自分も親を越えられるように、と教訓になる内容でした。

これが1960年代のジャズの流れです。ジャズというよりロックメインでしたが、おかげで取り組みやすかったです。

 

今日、新たな課題が出ました。お気に入りのジャズミュージシャンと選んだ理由。その音楽のユニークさと背景を説明してね、とのこと。Enjoyしてねって教授よく言うんですけども、出来るか!って言いたくなります。必死こいてやりますがな。

何がともあれプレゼンの内容でした。無事終了。

 

また明日。ここまで読んでくださりありがとうございました!